【茨城再見聞】地域の思い伝える佐竹扇 大久保鹿嶋神社(日立)
佐竹扇の紋を指さす臼井さん

茨城再見聞

 日立市大久保町の大久保鹿嶋神社の拝殿正面から見上げる唐破風(からはふ)に刻まれた紋には言い伝えがある。紋は、室町末期から安土桃山時代に、本県の広範囲を支配した佐竹氏の「佐竹扇」。数㍍離れた場所には、同神社の紋の「左三つ巴(どもえ)」もある。同神社の宮司臼井悦郎さん(72)は、「地域の佐竹氏への忠誠の証しだと伝わる」と話す。

紋を拡大したもの
紋を拡大したもの

 

 佐竹氏には、関ヶ原の戦いの際に東西両軍に対して明確な態度を示さなかったことを理由に、秋田県へ国替えになった歴史がある。

 当時、同神社周辺地域は、佐竹氏への忠誠心がとても強かった。佐竹氏の始まりの地の現在の常陸太田市周辺と変わらぬほどだったという。地域の支配者が代わった際は、神社の宮司などが、地域を代表して新たな支配者にお目見えするのが普通だった。しかし、同地域は佐竹氏の国替えの後、それをしなかった。同神社に残る資料には、その後しばらくの間、報復を恐れた同神社と地域の人々が、息を潜めて暮らした跡がうかがえる。

 事なきを得た後も、新たな支配者の水戸徳川家は時折、同地域の様子を見に来たという。「それを察したときにすぐに取り換えられるよう、正面の一つの紋だけを佐竹扇にしたと聞いた」と臼井さん。

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