一家は“落語家一門” 主婦でデザイナー 高座名・相模亭 桃姫(茨城・水戸)
相模亭一門の手拭いを持つ野島実どりさん。左側の「めくり」を含めて、デザインは野島さんが担当している

 水戸市城南の野島実どりさんは、主婦で、フリーランスのデザイナーで、アマチュア(社会人)落語家。高座名は、相模亭(さがみてい)桃姫(ももひめ)さんという。

 夫の明憲さんと、息子の慈恩(じおん)さんもアマチュア落語家で、それぞれの高座名は、相模亭くり坊さんと、相模亭まり雄さん。亭号の相模亭は、一家とゆかりの深い神奈川県一帯の旧国名、相模国からとった。親しいアマチュア落語家2人を合わせた5人で、相模亭一門を名乗っている。

 ホームグラウンドは、日立市大みか町の居酒屋「我(が)やが家(や)」。もとは、明憲さんの行きつけだった。新型コロナウイルスの不安が広がってからは不定期開催になったが、以前は毎月1回、一門とゲストで落語会を開催していた。そのほかを含めて、一家それぞれが、多い時では年間30回以上高座に上がったという。

 

 一門の原点は、今は東京で大学生活を送る慈恩さんが9歳のとき、日立市で開かれた子ども向け落語体験会に参加したこと。「思い出づくり程度に考えていたが、性に合ったようで」と実どりさん。 

 体験会の後は、明憲さんと実どりさんで、プロの落語を参考に稽古をつけた。明憲さんはすぐに、稽古をつけるだけでは満足できなくなり、父子で競うように芸を磨き合った。

 「やがて私の機も熟したの」と実どりさん。各地のアマチュア落語家との交流が始まると、大勢の女性が活躍していることを知った。「女性もいいの?」と驚いたのが第一歩だった。

 

 実は、3人で最も長く、落語に親しんできたのが実どりさんだ。祖父を介して落語に触れ、3、4歳から東京の落語寄席に出入りした。青春期は、友人らがアイドル歌手に夢中になっているときに、50歳代の中年落語家に入れあげた。結婚して、慈恩さんが生まれてからも、「2人が寝静まったあと、イヤホンで落語を聞くこともあった」。

 家族で高座に上がるようになった今、ひそかに喜んでいることが、夫と息子の変化だという。「私の理想の男性像は、落語家。人を喜ばせられる人はかっこいい。2人とも、とってもかっこよくなった」と笑う。

 

 相模亭一門の当初からの大看板は慈恩さん。子ども落語全国大会で入賞するなどした結果だ。だが、近年はこれまでの反動からか、勉強や音楽に熱中しているという。

 明憲さんは、数年前から海外赴任中。社会人落語の全国大会のたびに帰国し、昨年は決勝に進出。また、海外からインターネット落語会を開くこともあるほど熱心だが、一門の本家は実どりさんが一人で守っていることになる。

 “一門離散の危機”ではなさそう。実どりさんはむしろ、「それぞれが芸と人間性を磨くチャンス」と前向き。見据えるのは、次のこと。

 「例えば息子が、20年後に落語の世界に戻ってきたとしても、きちんと迎えられるようにしておきたい。いったんタレントさんになった後に、落語の世界に帰ってくる人は多いでしょ」

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