茨城県初の女性真打(しんうち) 水戸市出身の講談師・神田真紅(かんだ・しんく) さん 松林伯知(しょうりん・はくち) を襲名(茨城・水戸市)
「真打昇進披露記者会見」でポーズを決めた神田真紅さん

 水戸市三の丸出身の講談師、神田真紅(本名・田中真弓)さんが、真打(しんうち)に昇進する。3月と5月以降に、所属する2つの協会それぞれで、真打披露興行を行う。

 本県出身の講談師の真打は、明治時代に活躍した下館市(現筑西市)出身の二代目松林伯圓さんに次いで2人目。女性では初めて。

 真紅さんは2009年に、師匠で日本講談協会会長の神田紅(くれない)さんの門をたたいた。13年に二つ目となった。

 2月に都内で行われた落語芸術協会の「真打昇進披露記者会見」で真紅さんは、「真打になることも、三代目松林伯知になることも夢のよう。一層、修行に励みます」と決意を語った。

関係者の集合写真
「お披露目取材会」で取材を受けた関係者。前列左端が真紅さん。同中央と右端は、同時に真打になる落語家の山遊亭金太郎さんと雲龍亭雨花さん。後列左端は、落語芸術協会会長で、人気テレビ番組「笑点」で司会を務める春風亭昇太さん。同左から2番目は、真紅さんの師匠の神田紅さん

茨城県初の女性真打誕生記念特集

講談とは、真打とは、真紅さんとは?

 

 「めでたいのは分かるけれど、講談とか、真打とか、よく分からない」。そんな方々に向けて、簡単に解説する

 

講談とは?

 講談師が芸を披露する姿は、落語家とそっくりだが、話す内容には違いがある。落語家の落語が、会話に基本を置く芸であるのに対して、講談師の講談は、物語や事実を、客観的に話すのが基本。忠臣蔵などの歴史物語、人物伝のほか、ニュースがテーマになることもある。新作(創作)と呼ばれる講談では、現代がテーマになることもある。

 

真打とは?

 真打は、講談師や落語家の最高位の身分。団体や一門により違いはあるが、見習い、前座、二つ目、真打の順番に上がる。真紅さんが所属する落語芸術協会では、二つ目から真打になるのに10年前後かかる。

 

真紅さんって?

 真紅さんは、子どものころからの歴史ファン。特に幕末期が好きだという。

 大学では歴史を専攻して、学芸員の資格を取得した。学者を目指した時期もあった。

 伝統芸能への関心は大学時代からで、狂言のサークルに所属した。

 大学卒業後は雑誌編集者になった。退勤後に神田紅さんの講談教室に通い始めたことが今につながる。

 

松林伯知とは?

 初代松林伯知は、明治期に活躍した講談師。歴史ものの新作で人気を集めた。

 講談や落語では、過去の名人などの名を名跡として受け継ぐ文化があり、真紅さんは、名跡、松林伯知の三代目を継ぐことになる。

 真紅さんと松林伯知のつながりは、真紅さんが講談師になる前から。真紅さんが個人的に歴史書を読む中で、何度もその名前に触れていた。

 

講談を聞きたい

 3月に行う講談協会と日本講談協会共催の「三代目松林伯知真打昇進襲名披露興行」は完売した。5月から、東京・新宿末広亭などで行われる落語芸術協会の昇進披露興行の入場券は右のQRコードから購入できる。水戸市での披露公演も、計画中だ。

 

 

水戸在住のお母さん・田中敦子さんインタビュー

 

真打への昇進が決まった今の気持ちは

 ここまで頑張ってこられたということは、講談師という仕事が娘の天職だったのだと思う。娘が、そんな仕事に出合えたことを、母親としてとてもうれしく思う。

 

娘の講談を聞いてどのように思うか

 最近は、話の途中で、娘が話しているということを忘れてしまうことがある。そのくらいに話に没頭してしまう。紅先生のすばらしいご指導のおかげだと感謝している。

 

子ども時代を振り返って、今につながる思い出はあるか 

 高校生のころから、新撰組のいわゆるオタクだった。

 幼い頃は、絵本が大好きで、好きな絵本は、文章をすべて暗記していた。私を相手に“講談”を披露してくれた。

 

真打になることが親子関係に影響するか

 家族と、ここで飼っているネコに会うために頻繁に帰ってくるけれど、仕事の話はほとんどしない。子どもの頃のまま。真弓(本名)でも、真紅でも、伯知でも変わらない大切な娘。

 

 神田真紅さん、松林伯知さんの最新情報はホームページから。

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