縁あって涸沼竿職人に 元自衛官の吉田孝治さん(茨城・茨城町)
完成した涸沼竿のしなりを確認する吉田さん

  茨城町長岡の吉田孝治さん(73)は、涸沼竿(ざお)の制作技術を現在に伝える数少ない人物。手がけた涸沼竿は、同町のふるさと納税返礼品に加えられていて、全国の愛好者に届けられている。

 

 涸沼竿は、同町、鉾田市、大洗町にまたがる涸沼の漁師や、釣り人たちが愛用してきた釣り竿。汽水湖の涸沼には、海の魚と、淡水の魚が入り交じって生息するなどの理由で、魚の種類が多い。涸沼竿には、大きさも性質もさまざまな魚をうまく釣り上げるための工夫が込められている。

 歴史は江戸時代にさかのぼるといわれるが、資料は少ない。吉田さんが引き継いでいるのは、水戸市の和竿職人の川上東明さんが、昭和に入ってから確立した涸沼竿の形式と制作技術。昔ながらの和竿のしなりに、粘りを加えて、リール(糸巻き)を装着することも可能にしている。

 吉田さんは、50歳代から川上さんの和竿作り教室に通い、気心が知れた後は、川上さんの自宅でも学んだ。川上さんが第一線を退くことを決めた後は、制作に使う多くの道具を引き継いだ。

 

 吉田さんは、元自衛官。転勤族だった現役中は、全国各地の海や川で釣りを楽しんだ。

 55歳で定年退職した後、次の仕事場を見つける前に、「少しだけのんびりしようと思った」。それを聞いた家族が、「新たな世界をのぞいてみれば」と勧めたのが川上さんの教室だった。

 「はじめは、ハゼ釣り用の竿を1、2本作れればいいな」と思う程度の意気込みだった。教室には、吉田さんが感心するほどの腕前の生徒も多く、そうした人たちも雲の上の存在に感じていた。

 その後、ぐんぐんとのめり込んだ裏側には、「川上さんが導いてくれた感覚もある」と吉田さん。印象深いのは、2本目の竿を完成させた後のこと。

 吉田さんは、当初の予定を超えた3本目は、「材料の竹を見つけてくるところからやってみたい」と川上さんに相談した。すると川上さんは、竹林まで付き添ってくれた。そして、川上さんが勧めた竹を採集しようとする吉田さんを見て、「すばらしいねえ」と褒めた。

 吉田さんが、なるべく竹を無駄にしないように、また周囲を荒らさないようにと、丁寧に作業する様子を見て、川上さんは、いい職人になれると考えたという。その日のことは、その後も何度も告げられた。

 

 吉田さんの自宅に並ぶ涸沼竿は、ほとんどが、行き先が決まっていないものだ。注文は、ひんぱんに入る物ではない。

 吉田さんは、それでも、ほぼ毎日、竿作りに励む。「作っているときは、完成が待ち遠しい。出来上がってしまうと寂しくなって、次を作りたくなる。よほど性に合っているんだね」

 最近、作業しながらよく考えるのは、技術を次の世代につなげるにはどうすればいいかということ。

 「川上さんへの恩返しは、技術をつなげることだとも思うし」

 まず、釣りの楽しみを広げる必要があると考え、よくイメージしているのは、吉田さんが仕上げた涸沼竿を使うハゼ釣り体験会を開くことだ。

 「和竿というと工芸品のようにも思われるけど、これは単なる道具。釣りが、最高に楽しくなる道具。特に子どもたちにどんどん使ってほしい」と吉田さん。

 

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