神栖市土合東のテークアウト専門のすし店「伊達巻(だてまき)たまいち」の看板商品は、千葉県銚子市名物の特徴ある伊達巻き。だしの調合具合と火の通し方などに工夫があり、食感と見た目も、まるでプリンのようになめらか。神栖市の波崎地区でも古くから食べられてきた味だ。
同店を切り盛りするのは、銚子市の漁師の家庭の出身の一栁茂さん(61)。店舗は、自宅の倉庫を改装したもので、開店は4年前。
「最後の船出のつもりで始めた。地元の味を看板にするのは、俺にとっては、大きな変化なんだ。素直な気持ちで食べてみるとやっぱりうまいし、みんなに食べてほしい」
腕を磨いたのは、東京・銀座の和食とすしの有名店。中学を卒業して、すぐに門をたたいた。修業は厳しかったが、「負けん気が強すぎるほどだったから」と、へこたれることはなかった。
カウンターに立つようになってからは品書きにはない銚子の漁師料理を振る舞うこともあった。評判がよかったのは、「水なます」。新鮮なアジなどの刺し身を、みそをといた冷たい汁に浮かべるものだ。
28歳で旧波崎町ですし店をはじめた。「当時は、東京にかぶれていた」と照れる。水なますも銚子の伊達巻きも封印して、「『これが東京の本物のすしだ』みたいな感じだった」。
その後、2度の大きな転機を迎えた。まず、37歳で店をたたんだ。仕事の傍らで、ずっと大好きだったパチンコの道に進むためだった。パチンコが本業なのではと笑われるほどの腕前で、「実力を知りたくて、働く側にまわった」。千葉県を中心に各県のパチンコ店からスカウトされて店長を歴任した。
50歳を過ぎたころに持病の糖尿病が悪化した。失明を覚悟した時期もあり、「一時は、働くことも諦めた」。
失明はまぬがれたものの体調は優れず、気持ちがふさいでいた頃、娘のような姪に、「一度くらい家族のために働いてみなよ、と冗談交じりに言われて、笑ってしまった」。
今の俺にできることは・・・・。考えた結果が伊達巻きづくりだった。
銚子風は作ったことがなかったが、レシピはイメージできた。10回ぐらい試作を重ねると、自信が持てる味わいにまとまった。
店の常連は、近所のお年寄りたちだ。「友達がくるから焼いておいて」などと注文が入る。
店の前のテラス席では、旧友たちが井戸端会議していることも多い。今夏は、近所の子どもたちのためにかき氷も販売した。
「予想外に楽しいんだよ。これまでのすべてに感謝する毎日だよ」
電話で注文の上で、来店を。同店☎︎090・2653・8061。