ゴールを狙った街で、笑いを狙う エフエムかしまで新番組を担当する落語家 立川成幸さん(茨城・小美玉)
立川さん

かしまなだにて

 鹿嶋市のコミュニティーFM局「エフエムかしま」(76・7MHz)の10月からの新番組「立川成幸ハナシカ広場」(月曜午後7時半)のパーソナリティーは、落語芸術協会に所属し、この夏に、「二つ目」に昇進した落語家の立川成幸さん(27)。

 成幸さんは、小美玉市出身。同局でマイクに向かうことになったのは、小中学校時代に鹿嶋市にクラブハウスがある鹿島アントラーズのジュニアやジュニアユースチームなどの一員として、ボールを追いかけた経験があることが大きい。

 「鹿嶋市の大地には、汗も、夢も、思い出もたくさん染みこんでいる」と成幸さん。

 番組はすでに、2回の放送を終えている。普段から世話になっているという講談師の神田伯山さんの人気ラジオ番組を意識したというが、「まったく話せなくて、局長さんに慰められてしまった」と苦笑いする。

 

 サッカーは、常総学院(土浦市)のスポーツクラスに進学した高校時代までで引退。東京の大学に進学して以降、かねてから好きだったお笑いの世界の、特に、落語に熱中するようになった。

 落語家への道を進むと決めたのは、大学4年の11月。就職活動は進めていて、面接や仮入社も経験したが、「どうしても、決断しきれなかった」。

 後に師匠となったのは、立川談幸さん。談幸さんの師匠の立川談志さんの命日に、家族や友人らに落語家を目指す旨を伝えたという。

 

 落語の二つ目は、一応の一人前と見なされる立場。それまでは「前座」と呼ばれ、「半人前以下の立場だった」と成幸さん。サッカー時代に、あらゆる厳しさに慣れたつもりでいたが、さらに上があったと感じたという。

 「毎晩のように泣いて。泣き疲れても、悔しくて眠ることができないこともあった」

 昇進が決まったときは、鹿島アントラーズにも報告し、それがラジオ番組スタートにもつながった。

 真実を言えば、「サッカーは、嫌いになって辞めた」と、少し照れる。一番の理由は、度重なったけが。今も、体には骨を固定するボルトが残っている。しかし、落語家として、わずかながらも自信を付けた今、「すべて良い思い出になっているから不思議」。

 

 これからは、落語家としてあらゆることに挑戦していく考えだ。ネットの世界にも活動の場を求めている。

 それでも、「芸を磨くという本業を第一にする姿勢は、絶対に変えない。本気で努力した先に幸せがあることを、サッカーと、落語が教えてくれた気がしている」

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