世界を経て 故郷で再スタート 陸上400㍍で「世界陸上」に出場するなどした山崎さん(茨城・北茨城市
クラブチームの練習の最後、メンバーと全力で鬼ごっこする山崎さん

  陸上競技の400㍍走で世界の舞台に立ったアスリートが、地元の北茨城市と周辺で、独自の活動を始めている。アスリートは、山崎謙吾さん(30)。今の舞台は、小学校などでの「かけっこ教室」と、代表を務める陸上競技のクラブチーム「BOSE TRACK CLUB(ボーズ・トラック・クラブ)」での指導だ。

 山崎さんの経歴は輝かしい。高校総体(インターハイ)連覇。全日本インカレ優勝。ユニバーシアード日本代表。世界陸上日本代表など。26歳で選手を引退した後は、東京の高校で陸上部の外部コーチを務めたり、ランニング衣料のブランド会社でサラリーマン生活を送ったりした。

 本格的に陸上競技を始めたのは、高校入学以降。中学まではサッカー部に所属しつつも、足の速さが評判で、陸上競技の競技会のたびに、駆り出された。中学3年で、茨城県のチャンピオンになった。

 将来を真剣に考えた末に選んだのが、陸上競技だった。ただ選んだだけじゃなかった。誰にも負けたくないという思いから、陸上王国といわれた埼玉県で、最も有名だった埼玉栄高校に、自分で電話をかけて、入学を申し出た。「負けん気は強いんで」と笑う。

 名門陸上部には当初、「自分より速い人が何人もいた」。そこでも負けん気が顔を出した。当時、帰省したのは年に1、2回。「部活が休みの日でも練習していたし、帰省したときもじっとはしていなかった」

 高校時代から海外遠征に出るようになったが、国内の大会との違いは意識しなかった。「1位でフィニッシュすることしか考えていなかった」

 実業団チームに入ってしばらくすると、けがに苦しむことが多くなった。引退間近のころは、「陸上をうらむ思いすら生まれた」。

 サラリーマン生活も充実したが、いつの間にか募った陸上競技への思いが、心をざわつかせた。でも、選手に戻れるはずはない。思い出したのが、実業団チーム時代に、地域貢献活動で訪ねた小中学校などでの陸上教室の楽しさ。楽しさの中には、自分のために積み重ねた努力が、人に役立つということへの喜びも含まれた。

 当時、東京で暮らしていた。現在の活動につながるプランを形にする場所に選んだのが、ふるさとだった。中学3年のときに、埼玉栄高校に電話したのと同じように、ふるさとの恩師や、知人に連絡した。

 「多くの人が、私が地元を離れた後も見守ってくれていて、『応援する』といってくれた」

 帰省したのは、昨年の11月だ。かけっこ教室はすでに、北茨城市と高萩市の11の小中学校で実施した。「半分は楽しさ重視。気がついたら、速くなっているというのが狙い」といい、毎回好評だ。

 クラブチームも、両市が拠点だが、今後はいわき市などへ範囲を広げる考えだという。

 2月中旬の練習日、ジャージー姿で会場に現れたクラブのメンバーは、小学生3人。山崎さんを見るなり、甘えるようにすがりついた。

 練習は、軽快なBGMともに進んだ。山崎さんは終始笑顔で、子どもたちを全力で盛り上げた。

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 クラブチームにまつわる問い合わせは山崎さん☎080・6775・0730へ。

 指導内容は、走ること全般。中高生と一般も対象。

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