胸がいっぱいの200メートル 聖火ランナーを務めた石川さん
使用したトーチをどこに、どう飾るかが、今の悩みの種だという

茨城再見聞

 日立市多賀町の石川育子さん(77)は、先日、本県各地を駆け抜けた東京五輪の聖火ランナーの1人。舞台は笠間市の笠間芸術の森公園。「ありがたかったぁ」と、思い出すだけで胸がいっぱい。

 20代で、福島県の中学校で教師を務めた後、日立市で会社を営む夫の國博さんと結婚。聖火ランナーへ応募したのは、「かつての教え子たちに喜んでもらいたくて」。

 走れることが決まった一昨年の春からは、週4~5回のジム通いを欠かさなかった。ランニングマシンと、トーチに見立てたダンベルのトレーニングにも励んだ。五輪が延期になったときも、すぐに前を向いたが、ジムの休業には泣かされた。「この年になると、筋肉なんてすぐに落ちちゃうのよ」

 当日は、國博さんの方が緊張していたという。「転んだりして聖火を消してしまったら大事だぞと、脅かされて」。走った距離は、「200㍍と教えられたけど、私は少し短めにしてくれていたと思うの」。最後の少しだけ歩いてしまったが、「次のランナーにきちんと火を届けられたときは、ジーンとしました」 

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