海辺のカルチャーの発信源 ライフセーバー ジーコ船長
いつもの出で立ちのジーコ船長

Mr.イバラキカット ④

 本格的な海水浴シーズンを控えて、着々と準備を進める大洗町の大洗サンビーチが拠点の「大洗サーフ・ライフ・セービングクラブ」。同クラブの代表を約30年にわたって務めている男性が、通称・ジーコ船長だ。

 年齢、居住地、本業は非公開。海岸での活動中ほか、公式の場では常に、海賊風の変装をして、大きなサングラスをかける。大洗町内の小学校で行うライフセービング(LS)教室でも同じだ。

 それでもある休日、買い物から帰ってくると、同町役場から電話が来た。「お店に忘れ物があるらしいよ」。普段着で過ごす休日は、人波に紛れているつもりだったが、あっさりと気付かれて、役場に伝わった。そんなことが珍しくないという。

 大洗サンビーチは、障害の有無を問わずに楽しめるユニバーサルビーチとして全国に知られる。その基礎を作り、発展させてきた当の本人である一方、「数年で活動場所を変えるつもりだった」というのも本音。

 約50年前からLSに関わり、当時から本場だったオーストラリアで、日本人としては初めて、ライフセーバーの資格を授与できる資格を取得した。全国各地の海水浴場から声がかかり、渡り歩くような形で、人を育成したり、システムを作り上げたりした。

 同町にやってきたのも同じ流れだが、「情熱にほだされて、特別な感情もあった」。当時の管理責任者は、地元の海の幸を並べた席で、「大洗にカルチャーを持ってきてほしい。世界に通ずるカルチャーを」と、繰り返した。

 経歴を隠すのは、「カルチャーを伝える一環と言えなくもない」という。ジーコ船長が伝えるLSは、メンバーに個性を求めない。一丸となって活動するだけ。互いをコードネームで呼び、学生、社会人などの区別もしない。

 「変装は、大洗のもともとのカルチャーなんじゃない」と笑う。始まりは同町にやってきて間もないころの夏祭り。踊り行列に、土産でもらった海賊の変装で参加したら、「大好評だった」。

 ユニバーサルビーチの成り立ちは、誠実に活動してきた結果だ。クラブ発足当時、モットーに、「だれもが安全に楽しめる海をつくる」ことを掲げた。数年後、海辺の駐車場に、海を眺めるだけで帰って行く、車いすの親子を見た。「俺は、大うそつきだった」。その夜のメンバーミーティングで議題にすると、だれからともなく皆が、財布の金をテーブルに広げた。「みんなの夢が、ユニバーサルビーチをつくることになった」

 大洗サンビーチにはその後、車いす用のスロープが設けられ、水陸両用の車いすのレンタルも始められた。レンタルは会員制で、会員は全国に1400人いる。

 「ここを離れるのは、もうあきらめています」と笑う。ユニバーサルビーチという「答えのないもの」を目指し始めた段階で、取り組みに終わりがないことは決まっていたが、当時は、それに気がつかなかった。「でも、この町も海も最高だし、あきらめてよかったかな」

 

大洗サンビーチの海水浴場開設期間は7月22日~8月22日。感染症対策などの理由で、酒類の販売、持ち込みは禁止

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