かすみがうら市出身で、CDなどを全国販売するメジャーレーベルに所属するロックバンド「THE BACK HORN(ザ・バックホーン)」のボーカル、山田将司さん(41)は、本県の音楽界を盛り上げようというプロジェクト「ヒカリノハコ」の中心メンバーでもある。
同プロジェクトには、県内のアマ、プロを問わない40組余りのミュージシャンが参加している。昨年8月には、参加ミュージシャンのコラボ曲「命の灯(ともしび)」を発売。今年4月には、参加25組の書き下ろしオリジナル曲を集めたCD「茨城大爆発」をリリース。先月は水戸市内で、メンバーらのライブも行った。
プロジェクトが始まったのは、コロナ禍が、ミュージシャンたちの活動を厳しく制限したことがきっかけ。「活動は生きることそのものなのに」と山田さん。それでも、心の灯火だけは消さずにおこうと、自分たちに誓うとともに、地域にも訴えるというのがプロジェクトの目的だ。
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ザ・バックホーンは、山田さんが東京の音楽専門学校に通った当時に結成したバンド。ジャンルは、オルタナティブ・ロックと呼ばれる前衛的なもの。山田さん自身の本格的な音楽活動も同バンド結成と同時に始まったといえるという。東京が拠点で、本県出身のメンバーは山田さんだけだ。
「ずっとふるさとを愛してきたつもりだが、今につながる思いは、音楽活動を本格化してからかもしれない」と山田さん。
きっかけの1つは、水戸市出身で、活動の舞台を全国へ広げつつあったバンド「COCK ROACH(コック・ローチ)」との出合い。当時は互いに、血気盛んなインディーズバンド。それでも、「それぞれが作り上げる世界観を、心から尊敬し合っていた」。彼らを通して、茨城の音楽界の様子も知ることになった。
次は、メジャーデビューした後に、水戸市のライブハウスの店長、稲葉茂さんとラジオ番組を持ったこと。稲葉さんは、茨城の若者の音楽文化の中心にいるといっていい人物。山田さんは、「夢や情熱をつなぐ熱さが感動的なほどだった。茨城のミュージシャンと交流するきっかけももらい、彼らの真っ直ぐな姿勢と、レベルの高さを知った」と振り返る。
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ヒカリノハコは、コロナ禍が広まり始めた頃の、コック・ローチのボーカル、遠藤仁平さんとの久しぶりの電話から生まれた。山田さんは当時、別の不安に苦しんでいた。ボーカリストの運命を左右するともいえる喉のポリープ除去の手術を受けたばかりだった。しかし、「話が深まるにつれ、居ても立ってもいられなくなった」。幸い、術後の経過は良好だった。
山田さんの最初の仕事は、参加ミュージシャンへの声かけだった。そのときの山田さんの姿勢は、「目的の実現のために手を貸してほしいと、切実に願うもの」。相手が、親子のような年齢差の高校生でも同じだった。電話口では、「『もしもし。突然申し訳ありません。ザ・バックホーンの山田と申します』だなんて、まるでロックじゃなかった」と笑う。