行方市手賀の伊藤一郎さん(55)は、今では少なくなった霞ケ浦の専業漁師。今は、7月中旬から始まるトロール漁の準備の真っ最中。トロール漁は、ワカサギやシラウオなどを追う霞ケ浦で最も華々しい漁だ。ほかにも横引き網漁、はえ縄漁など、「何でもできないと、漁だけでは食べていけないんだよ」と笑う。霞ケ浦のことや、霞ケ浦の魚のことにも当然詳しく、漁業関係のイベントやマスコミ対応などでもひんぱんに声がかかる。
大の釣りマニアという顔もある。霞ケ浦でも竿を出すが、県内外の管理釣り場でのヘラブナ釣りが中心。大会での受賞歴も多い。「『仕事も遊びも魚なのか』と笑われるけど、好きなものは仕方ない」
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屋号は「ヤマイ水産」。創業者の祖父は、霞ケ浦の主役が帆引き船だったころの漁師。伊藤さんが漁を手伝い始めた中学生の頃は、漁の形が大きく変わり始めていたという。「船のエンジンがぐんと大きくなったんだよ」。それに合わせて網のサイズや引き方まで、がらりと変わった。先代の父親も丁寧に教えてはくれたが、「ほとんど試行錯誤しながら独学で覚えた」と振り返る。
試行錯誤を後押ししたのは、まっすぐな好奇心。それは、釣りを始めたときと同じ感覚だった。例えば、釣りの餌は、始めは父親が養殖するコイに与える餌を使った。「でも、すぐに溶けちゃうからうどん粉を混ぜた」。竿も始めは、近所に生えていたシノダケを使ったが、やがて少し遠いところにあるホテイダケの方がしなりがあって釣りやすいことに気がついた。
漁のこつをつかんだ後は、いかに水揚げ量を増やすかに熱中した。就業した当初は、漁業だけでは生計が立たず、アルバイトにも励む必要があった。「大好きな漁一本でいきたかったんだ」
10代で、当時は珍しかったジェットスキーの免許を取った。目的は、霞ケ浦の探検。魚がよく集まる場所、たまに集まる場所、曇りの日だけ集まる場所など、それぞれの理由を知りたかった。ウエットスーツを着てそれらの場所へ向かい、飛び込んだ。伊藤さんにとっては、霞ケ浦全体が地元の街みたいなものだという。「湖底の裏道まで分かっているよ」
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今は、漁船に魚群探知機が乗っているのが当たり前の時代。湖底の裏道は、探知機が教えてくれる。
伊藤さんの“まっすぐな好奇心”は、新たな方向に向かっている。それは、霞ケ浦の水産資源の保護だ。大漁を夢見る漁師の仕事とは、相容れないことにも思えるが、そうでもないという。
例えば、魚を捕りやすい時間が3時間あっても、伊藤さんは1時間で帰ってきたりする。3時間網を引き続ければ、水揚げ量は上がるが、魚の鮮度は落ちる。鮮度は魚の味に直結するもの。ほかにも、魚の鮮度を保つために、船に大量の氷を積み込み、船上で魚のサイズなどの仕分けもする。魚をしまう冷蔵庫も、性能をきっちり吟味したものだ。
「今は、みんな舌が肥えているから、いいものは高く買ってくれる。そうすれば漁師は潤うし、霞ケ浦の魚も過剰に丘に揚げられてしまうことがなくなるからね」