自然体で、人と動物と共に かみね動物園園長 生江信孝さん
アジアゾウのスズコを指す生江さん。2頭のゾウも生江さんと同じく、かみね動物園の顔

Mr.イバラキカット ②

 日立市宮田町の同市かみね動物園の園長、生江信孝さん(65)は、同園園長になって14年目。元は日立市役所職員で、今は同市の会計年度任用職員の立場で勤務する。

 生江さんが園長になるまで、同園の園長は、3年程度で入れ替わるのが通例だった。生江さんは、「どうして続けさせてもらえているのかは分からないけれど、ありがたいことと感じている」と話す。

 入園者と積極的に交流するほか、マスコミや同園のホームページにもひんぱんに登場する生江さんは、同園の顔といっていい。

 園長就任の際に求められたのは、「園の再生」。レジャーの多様化などで、入園者が低迷していた。

 さまざまなてこ入れを経て、現在の入園者数は就任当時の約1・3倍に増えた。生江さんは、「園のスタッフと、地域や行政の人々などの努力の結果」と控えめだ。

 「もし上手くやれているとすれば、素人だから」と笑う。生江さんは、自身のかみね動物園の原風景を忘れない。生まれ育った実家は、同園から1㌔ほどの場所。「ゾウの背中に乗せてもらったことがある。楽しかったなあ」。そんな思い出を1人でも多くの人に持ってもらいたいと、いつも考えている。

 学ぶ意識も大切にする。大震災の際は、飼育員らに教わった。

 休園した10日間の間に、ライオンが出産した。飼育員たちが、「こんな時期だから、入園者に赤ちゃんライオンを抱いてもらおう」と提案した。まだ、母ライオンのおっぱいを飲んでいたころで、普段ではありえないこと。だが、「新しい命は希望を伝えることができる」と訴えた。

 告知をすると、長蛇の列ができ、「地震の後、初めて幸せな気分になれた」などの声が聞かれたという。

 動物園を取り巻く環境は年々、変化している。1つは、動物の命に対する社会の目。人間の都合を優先してはだめということは、社会や入園者の多くも理解するようになった。生江さんも、経験と勉強を重ねる中で「動物の幸せがなければ、入園者の良い思い出はできない」という思いを強めているという。生江さんが園長になって数年のころに、そんな思いが結実したといえるエピソードがあった。

 同園では、チンパンジーを群れで飼育する方向へ、転換しようとしていた。チンパンジーの本来の暮らし方に近づけるためだ。

 仲間を増やそうと、生江さんが様子を見に行った県外の動物園のメスチンパンジーには、暗い過去があった。かつて、水族館で、イルカに乗ってショーをするのが役割だった。そのショーの間に、プールに落ちて以来、心を閉ざしてしまっていた。いくつもの動物園で飼育されたが、変化はなかった。

 生江さんは、園で相談して、そのメスを引き取ることにした。飼育員らと、不安な思いのまま見守る日々。群れにスムーズに溶け込んだように見えても、安心できなかった。しかし、すべては、取り越し苦労だった。メスは、34歳という、チンパンジーにとっては超高齢で出産することになった。そのメスにとって初産だった。

 メスは健在で、名前はマツコ。生江さんは、「マツコさん」と呼ぶ。「大切過ぎて呼び捨てにできない」と笑った。

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