常陸太田市小菅町の北山弘長さん(53)の畑で、「娘来(むすめき)た」という意味ありげな名前の小豆が、間もなく収穫期を迎える。
娘来たの見た目は、小豆色と白のまだら模様。一般的な小豆と比べて皮が薄くて、炊き上がるまでの時間が短いのも特徴。「嫁に出た娘が帰省してから炊き出しても、待つことなく食べることができたことが名前の由来とされている」と北山さん。
味はさっぱりめで、あんにしてもさらっとした食感に仕上がるという。
北山さんは娘来たを「在来種の小豆」と呼ぶ。在来種の定義は、「全国流通しておらず、地域の家々で3世代以上にわたって、種を採取しながら栽培している作物」としている。北山さんは地域の有志らで「種継ぎ人の会」というグループをつくって在来種を探して、守り継ぐ活動をしている。
会ができたのは10年ほど前。北山さんと娘来たの出合いは、その数年前。きっかけは、飼育していたヤギが脱走して、近隣の稲を食べてしまったこと。「おわびに行ったら、あんこでもてなしてくれた。独特なあんこだったから聞いてみると、娘来たで作ったものだった」と北山さん。
仲間らで開いたイベントでお披露目すると、大手菓子店から生産依頼が入った。今は、北山さんを事務局とする娘来た生産グループで栽培している。
北山さんは市外からきた新規就農者で、移住は2006年。その後結婚した郷子さんも都会育ちの農業未経験者だった。
北山さんは、大学を卒業後アメリカとヨーロッパで10年近く暮らした。西洋の文化にあこがれていたのが動機だが、海外生活の中で知った日本の農業文化のすばらしさが、今につながる原点でもある。
アメリカで、ともに建築を学んだ外国人の友人が、日本の古民家の写真集を持ってきて、「日本の古い家は、合理的ですごい」と話したことは、印象深い思い出だという。「とても誇らしかった。海外に行かないと気がつかない日本の良さはあるもの」
娘来たに出合ったころは、多くの種類の野菜を栽培してセットにして販売していたが、徐々に娘来たなど豆類が専門になった。今では、さまざまな種類の小豆、大豆、インゲンマメの計17作物を栽培。娘来た以外にも在来種が多いという。
北山さんは、「土地に合っているから栽培が容易という利点がある。アメリカで日本の良さに気付いたのと同じで、移住者だからこそ、在来種のすばらしさに気付けた」と話す。
それを聞いた郷子さんは、「あなたに色々な野菜を栽培する“まめ”さがないだけでしょ。豆農家なのに」と笑った。
娘来たの収穫は11月から。同市、日立市に、娘来たを使った菓子、パンなどを販売する店がある。「種継ぎ人の会」のホームページに詳細を掲載。グループ名で検索できる。
「種継ぎ人の会」のホームページは、こちら。
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