水戸市千波町に総合格闘技ジム「R-BLOOD(アール・ブラッド)」を構える桜井隆多さん(49)の舞台は、リング。ときには、周囲が鉄のフェンスで囲まれていることもある近寄りがたい雰囲気の場所だ。そこで、パンチ、キック、投げ技、間接技の何でもありのけんかさながらの競技、総合格闘技の選手として敵と向かい合う。
先月は東京で、チャンピオンとして、約1年半保持したベルトを懸けて戦い、負けた。
先月のタイトルマッチで、下からの三角締めを狙う桜井さん
総合格闘技は、野球やサッカーのようなメジャー競技ではないが、世界中にファンがいる。1年半前に桜井さんがチャンピオンになった際には、“中年の星”などとしてマスコミをにぎわせ、水戸市の高橋靖市長の祝福も受けた。
先月の試合は、昨年9月に予定されていた初防衛戦が延期されたもの。延期の理由は、桜井選手の練習中のけが。左肩を脱臼した上、いくつもの筋肉が切れた。手術を経て、完治に近づいたかに思えたが、先日の試合前に、トレーニングを本格化すると悪化。痛みで眠れない夜が続く状態だった。
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少年時代に、「暴力沙汰」を目の当たりにしたことが、今につながる道の始まり。「弱い人を守るためには強くなるしかないと思った」。警察官も夢見たが、大好きだった祖母がプロレスファンで、「喜ばせたいと思った」。
中学では、アマチュアレスリング部を立ち上げ、高校以降は、一人でもトレーニングを続けた。プロレスに、ショーの要素が多いことを知ると総合格闘技へ舵(かじ)を切った。当時は、今よりもマイナーで、野蛮なものと見られていた。
30歳を過ぎて、初めてチャンピオンベルトを取った頃、総合格闘技ブームが起き、雑誌やテレビに登場することも出てきた。しかし、数年でベルトを失った。
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一昨年にチャンピオンになったときは、「まだ続けていたの」と、驚き混じりの連絡もあった。敗戦から半月を経た今は、周囲の優しさの裏側に、引退を促す思いを感じることもある。だが、「まだ強くなれる気がするから」と笑う。
ジムでは、親子ほどに年が離れた練習生にも敬語で接する。彼らとの厳しい練習中にも、笑顔を向ける。「まだ強くなれる気がする」のを喜ぶのは、彼らに伝えられることが増えるからでもある。
長い格闘技選手生活の中で育んだ思いがあり、それは、歩み続けるモチベーションでもある。
「格闘技は、野蛮なものなんかじゃない。人と人が真正面に向かい合い、高め合うもの」
〈シリーズ終わり〉