元アナは“まくら”の名人 ラジオ局社員 高座名・有難亭 良慈緒(茨城・水戸)
スタジオのマイクの前で、愛用の扇子を持つ鹿原さん。今も、スポーツの実況などでは、マイクに向かうことがある

 鹿原徳夫さん(52)の名前に聞き覚えがある人は、本県の地域ラジオ局「Lucky FM(ラッキーエフエム)茨城放送」の熱心なリスナーに違いない。鹿原さんは10年余り前まで、同局のアナウンサーとして、自分の愛称が付いた冠番組「カビーとクラッチのどうよ」を担当するなど活躍した。

 その後、同局の報道制作部に異動。現在は営業事業部に配属されている。傍らのもう1つの顔が、有難亭良慈緒さんという高座名のアマチュア落語家だ。

 アマチュア落語家としては、落語界の大御所、三遊亭圓窓(えんそう)さんを師匠として、12年。県内のイベントなどで高座に上がっている。

 

 アナウンサーになるのは、中学時代からの夢だった。少年は、“情報の力”に気がついたことで、道を定めた。

 思い出すのは、音楽の授業が前倒しになるという情報を、クラスメートに伝えたときのこと。授業では歌のテストが予定されていて、多くが不安な気持ちでいた。「驚くほどの大騒ぎになった」

 狭き門をくぐり抜けて、夢をかなえてからは、あこがれのラジオスターたちに自分を重ねた。「吉田照美さん、ビートたけしさん、伊集院光さん ・・・・」。

 あるとき、ディレクターに「君の話は“落ち”がない」と指摘され、戸惑った。落ちと言えば落語だと思った。趣味の一つとして聞いてはいたが、もう一歩踏み込みたいと思った。取材先で、今の師匠とつながりのある人に出会い、気持ちを打ち明けたのが、有難亭良慈緒へつながる最初の一歩になった。

 

 落語を始めてからの鹿原さんは、“落語家的”なアナウンサーになった。例えばコンビニ併設のガソリンスタンドが増えているという話題で、「お客の滞在時間が増えて、お客が“油を売る”方に回りますね」などと付け足す具合。

 異動は、落語を始めて数年後のこと。「ショックだったのが本音」だが、今は、気持ちを変えている。「営業もやりがいがあるし、人生に落語が加わってバランスが取れている」。

 

 鹿原さんの高座は、“まくら”がピカイチだと評判だ。まくらとは、落語の本編の前のニュースなどを交えたフリートーク。アマチュアの多くは30秒程度だが、鹿原さんは5分超えも珍しくないという。

 まくらのネタは、ニュースのほか、日常のあらゆる場面から見つけ出す。それは、アナウンサー時代に、フリートークを充実させるために身につけた習慣の延長でもあるという。

 

 落語を始めたころ、師匠から「心が豊かになるぞ」と言われたことを覚えている。当時、聞き流してしまったのは、「アナウンスの修業という下心があったからかな」。

 今、「世の中を笑顔でいっぱいにしたい」と、照れ笑いする。アマチュア落語家と、ラジオ局員の二刀流で、かなえたいと考えている。

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