二度目の五輪もあり、半生に思いを巡らしている 伊藤猛さん(90)
写真を解説する伊藤さん

かしまなだにて

 神栖市田畑の伊藤猛さん(90)には、終戦の日が近づくこの時期になると必ず引っ張り出すという写真がある。1枚は、14歳当時、山口県にあった海軍通信学校に赴く直前に、同級生らと撮った集合写真。もう1枚が、その際にもらった礼状を撮影したものだ。

 「見ていると、いろいろな思いがわいてくる」

 伊藤さんは、16歳のころに、当時は極めて貴重品だったカメラを手にして以来、それを趣味にしてきた。自宅リビングには家族の記念写真のほか、地域や日本の歴史などを伝える写真が飾られ、大事に保管された写真も多数ある。

 通信学校を卒業した伊藤さんは、横須賀の海軍基地で終戦を迎え、ふるさとの同市深芝浜に戻った。一時は、結核患者専用の病棟で勤務し、その当時、患者からカメラを教わった。病棟での仕事から離れると父親の漁師の仕事を手伝いつつ、大工としての修業も始めた。

 最初の東京五輪に向けて日本中が盛り上がり始めると、流れに乗るようにして東京に出て、建築業の仕事に励み、家庭を持った。

 再び神栖に戻ってきたのは鹿島開発が機。生まれ育った浜辺のふるさとは工業地帯に作り代えられることになり、現在の場所に転居した。同市や鹿嶋市には全国から人が集まり、大工の仕事は、休みを取れないほどに忙しかった。

 2回目の東京五輪の開催もあって、ここ数年は半生を振り返ることが多くなった。「たくさんの写真のおかげで、当時の思いが記憶の深くに残っている。できたらそれらを、若い人たちに伝えたいと考えている」  

この記事が気に入ったら
フォローしよう

最新情報をお届けします

Twitterでフォローしよう