那珂市額田北郷の久慈川近くにあった水神宮と、庚申(こうしん)供養塔がこのほど、地区内の高台に移転した。国土交通省の治水事業の影響を受けたものだ。
周辺地域では、移転を機に、「地域の歴史と誇りも未来へつなごう」という機運が高まっている。7月21日には、移転を記念する遷座祭と、歴史講話などが行われる催しが行われる。開催場所は、移転先の旧幸久橋歩道橋額田側。午前8時半からだ。
神宮と供養塔があった場所には、かつて舟渡集落が広がっていた。同集落には、久慈川を渡るための渡船場があり、水戸と東北を結ぶ棚倉街道の要所だった。現在は、草に覆われて、面影は見られない。
周辺に暮らす一部の人の記憶には、昭和初期までの集落と周辺の繁栄がある。そのころは製材業が盛んだった。現在の大子町などで伐採された原木が久慈川の流れに乗って同地区に運ばれ、材木に加工された。関東大震災後の東京の復興に、同集落の材木が役立ったという記録もある。
21日の催しの発起人代表、中島英男さん(68)もかつての盛り上がりを伝える1人。催しの会場に立って、「多くの人影があって、にぎやかであっただろう」と振り返った。