仲間と守った地域の市場 閉場した常陸太田青果食品地方卸売市場の競り人(茨城・常陸太田市)
最終日の競りで、入札を呼びかける池田さん(右から2番目)

 常陸太田市寿町の池田青果店の店主、池田靖夫さん(78)の朝は、この4月から大きく変わった。半世紀以上にわたり、ほぼ毎日、顔を出していた「常陸太田青果食品地方卸売市場」が3月30日で閉場したためだ。出荷農家も組合員も少ない小さな市場だったため、毎日の所要時間は1時間前後だった。それでも、「心にもぽっかりと穴が空いたような寂しさがある」と池田さん。

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 同市場は1953年に設立された。運営は、「太田地方青果綜(そう)合食品協同組合」(諸沢正弥理事長)。正式設立以前にも、同市西三町の神社の境内で行われたこともある。農家と商店主らが、内々で始めた市民市が原点だ。

 1963年に、閉場までの場所の同市山下町に移転。最盛期には出荷農家は300人超、組合員は約50人を数えた。それらを3人の競り人が束ねた。出荷農家が、農作業の都合にあわせて作物を届けることができるように、市場は24時間体制で稼働した。

 閉場は、売上高の減少が理由。流通や販売形態の変化が影響した。農家や組合員の高齢化や後継者不足も一因だ。

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 池田さんは青果店の2代目、子ども時代に、父親に手を引かれて神社で行われた市に行った記憶がある。

 仕事を始めた10代後半からは、市場は完全に生活の一部。

 市場ならではの符牒(ふちょう)、手(て)やりは、「日常会話で使うほど」になじみのもの。符牒とは、同業者や仲間内でだけ通用する言葉のこと。数字の1を「チョン」と言ったりする。手やりは、手信号のようなもの。手や指の形で情報をやりとりする。言葉が届かない騒がしい場所で、便利に使える。

 10年余り前から、競り人を務めている。そのころ、競り人は1人体制になっていた。池田さんに白羽の矢が立ったのは、「みこしを担ぐのが趣味で、声が大きいからかな」と池田さん。

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 競り人の仕事は、「市場を守ること」と池田さん。それは、正反対の理想をもつ出荷農家と組合員の間を取り持つことだ。「出荷農家は、少しでも高く売りたい。組合員は少しでも安く買いたい。それが当たり前。それを適正にコントロールするのが競り人」と池田さん。そのために、日々の相場は必ずチェックして、出荷農家と組合員とも、親身なコミュニケーションを重ねた。

 ときには、うまくコントロールできないこともあった。「そんなときは、『買いたたかれてしまった。農家にすまないことをした』と、家族に愚痴ってしまったりした」

競りの最後の三本締めの写真
競りの最後の三本締め

 

 最終日の競りには、長ネギやキャベツなどの農作物が、13軒の農家から出荷されて、12人の組合員が競りに参加した。それぞれが最終日であることを理解して、寂しさを覚えている。「だからこそ、いつも通りやろうという雰囲気があった」と池田さん。

 「この鮮度の野菜に、そんな安値ってねえべ」という池田さんの声もあった。それに反論する組合員の声も大きかった。

 それでも、最後は笑顔で価格が決まった。30分足らずですべての競りが終わった。

 池田さんの孫が、花束を持って登場するというサプライズがあった。その後は、理事の廣木修造さん(73)締めのあいさつと、三本締め。

 組合員らは、それぞれ名残惜しそうに、なかなか帰ろうとしなかった。

 

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