世界につながる45分の船旅 鹿島埠頭が運航する遊覧船・ユーリカ(茨城・神栖市)
停泊していた大型貨物船。長さ約300m級が2隻連なっていた


 県の第三セクター鹿島埠頭(神栖市東深芝)が運航する遊覧船ユーリカの航路は、鹿島港の中央航路、北航路、南航路。同港は、鹿島臨海工業地帯と世界をつなぐ場所。3つの航路はつながっていて、航空写真で見ると「Y」の字の形。ユーリカは、Yの字の淵を沿うように1周する。1周、約45分の運航となる。

 

ユーリカ

 

 乗船中は、非日常感があふれる光景を目の当たりにする。

 最も広い中央航路の横幅は、約600m。航路脇には、さまざまな業種の会社が並び、それぞれの敷地に各国から運び込まれた原材料が置かれる。原材料の内容もさまざまだ。工業用の塩が本物の山のように積まれたところもある。丸太、鋼材、石炭などのほか、一見しただけでは判別ができないものもある。

 それぞれを運ぶ船もバラエティに富む。長さ300m超で、見上げる高さの大型貨物船もある。船上の外国人の船員にカメラを向けると、気さくに手を振ってくれた。

 

 同社の遊覧船運航が始まったのは1977年。初代の遊覧船の名前は「はまゆう」。遊覧船の当初の目的は、近隣住民らに鹿島港への理解と親しみを深めてもらうことだったが、時を経て、幅広い意味合いを持つようになった。

 まず、同工業地帯で働く多くの人が、新人研修で乗船する。反対に、同工業地帯での仕事を退いた人もやってくる。同工業地帯と、そこで長年にわたって汗を流してきた人たちは、日本の繁栄の礎になったともいえる存在。青春を振り返るようにして、遊覧船に乗るという。

 

 小学生らに校外学習で乗船してもらうのは、鹿島港について学んでもらおうという当初からの目的に沿ったもの。

 それは、小学生たち自身が、自分と世界とのつながりを感じる機会にもなっている。

 同社の遊覧船担当の1人、小野利文さん(50)は小学校時代、ユーリカの先代の遊覧船に乗船している。ただし、その記憶はなく、判明したのは、同社に就職した後。実家を整理していて、兄が描いた遊覧船の絵が出てきたことから。「『乗ったんだね』と聞いてみたら、私も乗っていると教えられた」と小野さん。

 小野さんは、忘れてしまっていたことを残念がるが、無意識下で今につながっていることを感じている。今の仕事に就いた動機の1つに、世界と関わりたいという思いがあったからだ。

 

 小野さんは、ユーリカに乗る小学生たちと会話するとき、小学生たちの持ち物について、どんないきさつでそこにあるのかを、聞くことにしている。「そのTシャツかっこいいね。どこ製?」

 それが国産品だったとしても、原料にさかのぼると海外へつながることが多い。そんな会話の後でユーリカに乗ると、遊覧中に見る一つ一つが、自分ととても縁深いものに感じられるという。

 

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