「日本の宝を後世に」と願い 国宝も手がけた日本刀の研師・細田さん(茨城・神栖市)
自宅の作業場で、研いだ日本刀の仕上がりを確認する細田さん

  神栖市奥野谷の細田邦信さん(67)は、全国の日本刀愛好家に頼りにされる刀研師だ。19歳で、後に人間国宝になる師匠、永山光幹さん(故人)の門をたたき、8年で独り立ち。これまでに手がけた刀の数は、「数え切れない」と細田さん。鹿島神宮が所蔵する国宝、直刀の研ぎも担当した。

 いつも心にあるのは、「私の役割は、いにしえから伝わる日本の宝を、次代につなぐこと」という思い。手入れの悪い日本刀を持ち込む客に、厳しい言葉を向けることもあるという。「すばらしい刀も、手入れを怠ると簡単に失われてしまう。悔しくて」

 この道を志したきっかけは、中学生のころに、千葉県の刀研師を訪ねたこと。同居していた祖父の刀を研いでもらうために出かけた。「これだ!」と、稲妻が走るような気持ちになったのを覚えている。

 高校にだけは行けという両親に従って進学したが、「勉強なんて二の次。いつも刀のことを考えていた」。ちょうど鹿島開発が盛り上がっていた時期。友人らは当たり前のように臨海工業地帯に職を求めたが、細田さんの意志は変わらなかった。

 修業中は、全国各地と、海外からやってきた弟子とも生活を共にした。師匠にしかられた記憶はないという。「しかられる前に追い出される世界だったから」

 同市に戻った後も仕事が続いたのは、全国の刀研師を対象にした刀研ぎコンクールで輝かしい成績を残していたため。5年連続だった。

 それでも収入は、安定とはほど遠かった。妻の八重子さんは、「生活に興味のない人だから」と笑う。

 刀を深く理解してくれている人の依頼には常識外れの安値を提示してしまうこともあった。また、知人に頼まれれば包丁の研ぎも断らなかった。八重子さんが看護師だった関係もあり、医療用のハサミやメスの研ぎを頼まれたこともあった。「それだってほとんど無料で請け負っていた」と八重子さん。

 「職人にしてはおしゃべりな方」と笑うが、ひとたび刀研ぎの作業に入ると、時間を忘れるほどに没頭する。大きく7つに分類される工程を粛々と進める。

 本人には、刀と会話しながら作業している感覚があるという。

 「失敗は絶対に許されない。人を育てるのと同じか、それ以上に難しい」と細田さん。

 

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