
いま、盛大に鳴り響く蝉(せみ)時雨が伝える夏物語が、城里町の旧七会村地区と、笠間市にある。平安時代の僧侶、弘法大師と、現在の城里町で暮らした地域の有力者の娘が紡いだ悲恋物語だ。娘は、器量好しで知られ、徳蔵姫(とくらひめ)と呼ばれた。
物語はこう。
弘法大師は当時、城里町徳蔵の徳蔵寺(とうぞうじ)を拠点に、周囲の山々で修行を重ねた。その立派な姿に、徳蔵姫が恋をした。
弘法大師は、徳蔵姫の気持ちを察したが、修行の身。徳蔵姫を傷つけまいと、静かに姿を消した。
翌朝、そのことを知った徳蔵姫は、後を追った。
山を越え、笠間市片庭の楞厳寺(りょうごんじ)の周囲に着くと、高い木を見つけた。必死の思いで木を登り、遠くまで見渡したが、どれほど目を凝らしても、弘法大師の姿は見えなかった。
希望をたたれた徳蔵姫の目には涙があふれ、やがて声を上げて泣き出した。
徳蔵姫はいつか、本県では楞厳寺の周辺でしか見られないとされるヒメハルゼミに生まれ変わって泣き続けた。
ヒメハルゼミが鳴き声を響かせるのは7月下旬で、いま、楞厳寺の周辺で聞かれる蝉時雨の主は、別の種類だ。ただ、蝉時雨から、この物語を連想するという人は多い。
徳蔵寺には、弘法大師が自ら掘ったと伝わる木造弘法大師像が残されている。旅立つ自分の身代わりにしようという思いがあったとされる。
笠間市片庭の片庭ヒメハルゼミ発生地は国指定天然記念物。徳蔵寺の弘法大師像は、県指定有形文化財になっている。
周辺地域ではいまも、徳蔵姫を器量好しの象徴とすることがある。
徳蔵寺の岸野教司住職(70)は、「『若い頃は徳蔵姫の生まれ代わりだなんて言われてね』と、冗談交じりに言うおばあちゃんが、いまでもいる」と話す。