
ひたちなか市幸町で理容店「サッパリ軒」を営む上田正宏さん(73)は、68歳の時に初めて全国発売のCDを出した遅咲きの演歌歌手。芸名は、港りゅうじ。周囲の人に導かれるように歩んだ演歌人生の途中では、「演歌スターの仲間入りか?」と心躍らせた場面もあった。
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歌う楽しさを教えてくれたのは、小学校の先生。学校が終わると、理髪店を切り盛りする両親に代わって、先生が自宅で面倒を見てくれた。家にあったオルガンを弾いてくれて、一緒に歌った。
人前で歌う喜びを教えてくれたのは、東京時代の理容店の客。勤めていた店には、近くのキャバレーのボーイらが散髪に来ていた。仲良くなり、「床屋さん、店に来なよ。おごるよ」と誘われた。
当時のキャバレーでは生バンドが演奏していた。目を輝かせて見ていると、マイクを渡された。好きだった橋幸夫さんの曲を歌うと、キャバレーの支配人から、「うまいなあ。俺の店でならいつでも歌っていいよ」と、褒められた。
東京に出たのは17歳の頃。親には「床屋の修業のため」と言ったが、本当は歌の夢を追いかけたかった。
北島三郎さんもエール
夢を大きく膨らませてくれたのは、北島三郎さんだ。37、8歳の頃、上田さんは北島さんの音楽事務所のコンテストに挑戦した。
予選、準決勝を勝ち抜き、静岡で行われた決勝へ。歌ったのは、北島さんの曲「北の漁場」。結果は優勝。当時は東京から引き上げて、ひたちなか市で実家の理髪店を継いでいた。それでも、店が終わると、テープレコーダーを持って海に行き、猛特訓を重ねていた。
北島さんは、「年齢はごまかせるから」と笑って、「東京に来ないか」と言ってくれた。有頂天になったが、2人の子どもはまだ幼かった。「勇気が持てなかったんだよね」
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CDを出すという遅咲きの夢を後押ししてくれたのは、理容店の客。店の隣にある「恵愛小林クリニック」理事長の小林克己さんは、散髪に来た時、上田さんが練習用に録音していた歌のテープを聞き、「これ、誰が歌っているの?」と驚いた。小林さんは長年趣味で作詞をしていた。
2020年5月、上田さんは、徳間ジャパンのレーベルから、小林さんが作詞した「ネモフィラの咲く丘で」でデビューした。
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「いろんな人たちに応援してもらった。これからは、歌で恩返しができれば」と、上田さん。高齢者施設などでの慰問活動にも力を入れたいと思っている。